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Story 02 藤井製桶所【後編】

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木工業を続ける傍らで、先代の頃から細々と繋がっていた醸造業界から桶の修理の仕事が入れば請け負った。

「木桶の寿命はだいたい70〜100年。修理の注文でさえ5年とか20年に1回なので、地元に桶屋がなくなっても皆さん当面は困らなかったでしょう。ところが20年、30年経って修理が必要になって「まだやってますか?」と全国の蔵元からうちに電話がかかってくるようになりました」

そして藤井製桶所にとってエポックメイキングとなる出来事が起きる。

「1つは、アメリカ人のセーラ・マリ・カミングスさんが『木桶仕込み保存会』を立ち上げて、木桶仕込みの日本酒造りを提唱されたことです。2000リッターぐらいの木桶を地元の桶屋さんに注文されて、長野県小布施町の桝一市村酒造場で木桶仕込みの日本酒を造られました。それが木桶仕込みの日本酒の復活第1号だと思います」

その後「木桶仕込み保存会」に参加した蔵元からも立て続けに木桶の注文が入った。しかし、ホウロウタンクに慣れていた蔵元からは、酒に木桶の香りや色がつかないような木桶にしてくれと言われ戸惑うこともあったらしい。

「でもその時に2社だけ、東京の小澤酒造さんと桝一市村酒造さんの杜氏さんが『木桶でつくるんだから木桶の癖、個性が出てないと、木桶仕込みなんて言えないじゃないか』とおっしゃって、そちらの蔵元さんはそれからもずっと木桶仕込みを続けておられます」

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それから数年が経過し、「発酵食」というものに世間の注目が集まってきた頃のこと。
「竹鶴酒造の杜氏だった石川達也さん(現;月の井酒造店・広島県杜氏組合長)が木桶仕込みに大々的に取り組まれたことで、“木桶仕込み”の日本酒の価値が徐々に高まっていったと思います」

石川達也さんといえば、今一番有名な杜氏のひとりであり、実は私も達也さんとは親しくさせていただいている。というのも、達也さんのお父上は賀茂鶴酒造で専務を務めていた人。そのことは上芝さんもご存知なかったようで大層驚かれた。

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写真)木桶を作ったり修理した蔵元から届いた木桶仕込みのお酒をいただきながら話に花を咲かせた。

そんなご縁もあって話は大いに盛り上がり、全国の蔵元から届く木桶仕込みの日本酒を振る舞っていただきながら、上芝さんの恋バナならぬ桶バナは続いた。

「木桶は多孔質ですから、発酵のための微生物が住みやすい。断熱性が高く外気の影響を受けにくく、桶の中の温度を常に一定に保つことができる。だからほかの材質よりも発酵に適しているんです」

材料である杉にも相当こだわりがある。

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写真)「そんなに飲めない」と言いつつ、酒の特徴を的確に言い当てる上芝さん。実は第1回酒サムライの叙任者(2006年)にも選ばれている。
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「結局、桶樽にはどういう材木が一番適してるの?といえばやっぱり吉野杉なんです。「通直木理」と言って、上から下までスーッと年輪が通ってる。なぜそうなるかというと、一般的な林業においては、1ヘクタールあたり3000本から、多くても5000本が植林の目安とされていますが、吉野は1ヘクタールあたり1万本くらい植えて、木の成長を遅らせるんです。そうすると年輪が詰んで強度も高まり、木目も非常に綺麗になる。樽の側板にしても、桶の側板にしても節のない、そういう側板が取れるわけで、それが非常に桶樽としてはメリットが大きいんです」

こうして上芝さんの情熱的なお話を聞いていると、大桶の製造業務を終えるという話はにわかに信じがたい。今後についてどうお考えなのか、率直に聞いてみた。

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「設定としては高さ1.5m以下の桶なら受けるけど、高さ2mの桶はやめようという話です。理由は、年も年ですから危険な作業はもう無理かなと。桶の底をはめる時に幅4cmくらいしかない桶の縁に立って、中で胴突きというものを底板に向けて2メートルぐらいあげたり下ろしたりするんです。若い人間なら落ちても「アイタタ」っていうぐらいで済むんですけど、70超えた私らは入院してしまいますわ(笑)」

そういえば、うちの甑はかなり大きめだが、それだとどうなのだろう。

「賀茂鶴さんとこの大甑は、確か直径2600から2700、高さが1メートル50。それやったら我々の年齢で飛び降りても大丈夫かな(笑)。まあしょっちゅう飛び降りるわけじゃないですからね」とちゃめっ気たっぷりに答えた後、「これからはこういう仕事の仕方もいいかなっていう気がしてます」と一枚のチラシのような紙面を見せてくれた。

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「明治38年6月の新聞なんですけどね。醸造用品会社の桶のキット商品のコマーシャルなんですけど、桶の底板の材料分がちゃんと削ってあって、正直(側板と側板が接する面)も合わせてあります。竹タガも一緒にワンパックにして、後はマンパワーだけ現地でやってくれ、ということ。この方法でしたら、技術は残るんじゃないかなと思うんです。」
つまり、基本的な技術を藤井製桶所で学べば、あとは製桶所からキットを送ってもらって酒蔵が自分たちで組み立てるというシステムということだ。

聞くところによると上芝さんが中学生ぐらいの頃までは、この「仕立て桶」を作っているメーカーが吉野にあって、かなり大規模な工場を持って運営されていたらしい。それを思い出し、木桶の技術と文化を残すための活路をそこに見出した。未来のヒントは歴史の中にあるというが、まさしくこのことか。

木桶写真
写真)藤井製桶所に赴き、およそ10日間かけて記念すべき第一作目木桶を完成させた。

「このあいだ来てくれた賀茂鶴さんとこの若い方もそうでしたが、10年前くらいから日本酒、醤油などの蔵元から木桶の技術を習いたいと来てくれた方は皆さん、熱心です。当然ながらアルバイトで来た若者とは意気込みが違うと感じました」

桶づくりをしたいと若い人が来たこともあったが、3年で辞めてしまったという。伝統に紐づく技術の継承はそれほどに難しいということだろう。

実は賀茂鶴酒造では今、木桶仕込みの酒を造ろうとしている。2018年に上芝さんに製桶技術を習った若手社員が木桶の魅力に触れたことで、自分たちでも木桶をつくった。そして今度はその木桶で生酛造りに挑みたいと意気込んでいるのだ。伝統的な道具を使った伝統的酒造り。2024年冬に日本がユネスコ世界文化遺産登録を目指している伝統的酒造りと方向は一致している。

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そしてしばらく考えるしぐさを見せたのち、こう続けた。
「やっぱり私らだけでは限界があると思うんです。木桶の技術を残すということに蔵元さんが情熱を傾けてくださるのであれば、この「仕立て桶」の方法はその可能性が高いと思うんです」

その時、未完成だったパズルのピースがまた一つ、見つかった気がした。

受注発注という関係だけでなく、こちらから訪れて教えを請うたり、また時々は上芝さんたちにもいらしていただくなどコミュニケーションを取りながら、共に木桶と日本酒という文化を守り、育てていくという共創にこそ、未来へのヒントがあるのではないか。そんな思いを伝えると、上芝さんは穏やかに「うん、うん」と頷いた。

「ただちょっと不安があるとすれば…」と私は続けた。
「木桶の技術を習っているうちの若手たちがこのまま木桶にのめり込んで、藤井製桶所の社員になっていたりしやしないだろうかと心配です」
それを聞いた上芝さんは、まんざらでもないといった表情で笑った。
本当にそうなると私が困るのだが、それぐらいの勢いで必死に生酛づくりに取り組んでいる担い手が賀茂鶴にいてくれること、それは幸せ以外の何物でもない。

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