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日本酒の未来を拓く

100年企業のふたりが語る日本酒の現在地と未来。

Episode 02 未来は歴史にあり

創業期から戦後、そして今も賀茂鶴酒造を支え続ける一号蔵を訪れた二人。互いの歴史を振り返りつつ、未来へのヒントを探りました。

すべては一号蔵から始まった

石井: ここが一号蔵です。明治6年にこの蔵でお酒造りを始めていましたから、この蔵も150歳。まさに賀茂鶴の歴史そのものです。戦後はここでサイダーを作っていたこともあるんですよ。ほら、ここにその時の看板があるでしょう?

山本: かっこいい看板ですね!なぜここでサイダーを?

石井: 戦後しばらくはお米が配給制だったりして、お酒をたくさん造ることができなかった。そこで「鶴屋」というブランドでサイダーを作って、それを社員の方々の救済にあてて酒蔵としての危機を乗り越えたそうです。当時、中学生だった私の父も瓶詰めを手伝ったと聞いたことがあります。

山本: 3、4年前に一号蔵に来させてもらったことはあったのですが、そういう歴史があったことは知りませんでした。

石井: サイダーを作っていたのは数年間だったと聞いていますが、こういう歴史は我々にとっての財産なんです。サイダーを作ることで、結果的に酒造りという事業と文化を守った。大事なものを守るために恐れずにチャレンジする。今まさに我々がしようとしていることにもどこかつながると思いませんか?

山本: まさしくそうですね。今を知る上で歴史を正しく認識することはとても大事なことだし、歴史の中にこそ、未来のヒントがある気がします。

石井: それでいうと、中国新聞社様も130年という歴史の中で原爆による甚大な被害があって、それを乗り越えてきた歴史がありますよね。

山本: はい、中国新聞社も原子爆弾によって社員の3分の1に当たる114人の命と本社社屋を失いました。しかしそんな厳しい状況の中で「一日も新聞を止めるわけにはいかない」と、その日の夕方には他の新聞社に連絡をとり代行印刷することを決めて、被曝から3日後には新聞を発行したと聞いています。そのことを思ったときに、我々の使命は地域ニュースを発信し続けることなんだと、改めて想いを強くします。

100年企業として守るべきもの

石井: 広島はそういう経験をしたからこそ、カープの樽募金もそうですが、みんなで支え合うところが精神として土地に根付いているように思います。「地域貢献」を本業のおまけのようにいわれるのを耳にすることもありますが、我々にとっての「地域貢献」はある意味、レーゾンデートル(存在理由)の一つでもあります。

山本: 助け合ってきたからこそ、あれだけ厳しい状況を乗り越えられた。中国新聞社も明治の創刊以来、「地域とともに」というスローガンのもと、地域活動にも積極的に関わってきました。「ひろしまフラワーフェスティバル」や全国47都道府県の代表ランナーが集まる「ひろしま男子駅伝」といったイベントの開催に携わるのも、広島のため、そして地域の皆さまへの恩返しという思いがあるからこそです。これからも地域性という部分は大切に守っていきたい。それは、地域に見放されては、我々の明日はないという覚悟でもあります。

石井: そうですね、賀茂鶴も創業以来ずっと西条という町とともに歩んできた歴史があります。この辺り約1kmの範囲内に、賀茂鶴を含め7つの酒蔵が並ぶ「酒蔵通り」がありますが、歩いていると普通の民家やマンションもあるし、飲食店やパン屋もある。古民家や蔵だけが立ち並ぶ景色を期待していた人は「なんだ」と思うかもしれませんが、この景色こそ、街が生きているという何よりの証拠です。酒蔵が街の暮らしの中に溶け込んでいるこの景色が、私は何よりも好きなんです。

山本: 素敵だと思います、まさに共生関係ですね。あ、これは井戸水ですか?

石井: はい、蔵ごとに仕込み水用の井戸があって地元の皆さんに開放しています。日課のようにペットボトルを持って、水を汲みにいらしています。そして面白いのが皆さん、それぞれ「推しの井戸」があるんです。

山本: お気に入りの水というのがあるわけですね。でもこの辺りは全部、山からの伏流井水になるのではないですか?

石井: はい、龍王山の伏流井水です。井戸の深さや場所によって硬度の違いもあり、水源は同じでも蔵ごとに水質が微妙に違います。まさに酒蔵の命の源でもあるのですが、全国の酒蔵でも地下水の水質や水量を維持し続けるのはなかなか大変です。日本三大酒処の灘では、水条例を作っています。

山本: 酒文化を守るということは、酒そのものだけでなく景観や資源なども含めた全てを守らなきゃいけないということですね。

石井: 酒蔵のシンボルでもある煙突もそうです。維持管理にはとてつもないコストがかかる。経費や手間のことだけ考えれば、無くすという選択肢もあるのかもしれない。でもこの煙突のある景色は、もはや我々だけのものではなく、広島、そして日本にとっても大切な文化になっている。それを守ることはこれまで我々を育ててくれた皆さまへの一番の恩返しでもあるわけです。

山本: それは100年企業としての責任というのも感じていらっしゃるからでしょうし、地域企業としての重責でもありますよね。我々も被爆地の新聞社として、核兵器廃絶と世界平和の実現を人類に訴える責務を負っています。また「確かな情報」を提供するという点で、130年の間、新聞社として培ってきた信頼を裏切るようなことは決してあってはならないという想いもあります。これをどうやったら守り育てていけるのか、常に自問しています。

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