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Story 09 大甚本店

名古屋伏見 大甚本店

いざ、居酒屋界のレジェンド
「大甚本店」へ

 糀屋三左衛門さんを訪れる前日、私は名古屋入りをしてある店に向かっていた。名古屋の玄関口、JR名古屋駅から地下鉄東山線で1駅。伏見駅の地上に出るとすぐに飛び込んでくる「賀茂鶴」の看板。目的地は明治40年創業の大甚本店だ。

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開店は15時45分。席は争奪戦のため、早めに向かったものの、15時すぎにはすでに店先に長い列ができていた。この行列こそが、大甚本店が築き上げた歴史と信頼の証だ。

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開店の時間になり、四代目の大将、山田泰弘さんが慣れた手つきで入り口に暖簾をかける。
すると、待ってましたとばかりに、人々は店の中へ吸いこまれていく。

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大将は店内に流れ込んでくる客の人数を一瞬で把握し、あっちへどうぞ、こっちへどうぞと席に誘導する。見事な采配。あっという間に10人掛けのテーブル席は埋まっていく。少人数の客はほぼ確実に相席になるが、それこそがこの店の名物の一つだ。

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賀茂鶴の樽酒のそばでは、70年以上使い込まれたかまどで五代目の悠斗さんが燗酒をつけている。熱々の酒がたっぷり注がれた2合徳利が、スタッフによって次々と席に運ばれていくと、にぎやかな声と湯気のような熱気が一気に店内に立ちのぼる。

その様を眺め、「ああ、これぞ、THE 居酒屋!」と、嬉しくなって思わず口元が緩んだ。

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ホールも厨房の中も、すべての動きが緻密で無駄がなく、まるで舞台を観ているかのようだ。
あらかじめ決められているかのように、整然とリズミカルにそれぞれの役割をこなしている。

日本酒をつくる立場としていくつもの酒場を訪ね歩くが、やはり、この居酒屋にはどこか特別な空気が漂っているように感じる。

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ここを初めて訪れたのは確かNHKを退職した2017年。法人設立100周年記念行事で名古屋を訪れた折だった。それ以来幾度も訪れたが、時代に合わせた変化はそこかしこににじませながらも、全体のたたずまいは変わっていない。

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写真)料理は昔の食堂によくあった好きな小皿料理を選ぶセルフ方式。毎日約80種以上のお惣菜が並ぶ。それ以外に刺身などは厨房の奥に注文の声をかける。
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今日はただただ、美味しいお酒と料理を愉しもうと決めて、思い出に浸りながら酒と料理に舌鼓を打つ。目移りしながら選んだ小皿料理はどれもハズレなし。実にうまい。

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お腹も心もしっかり満たされたところで、次のお客に席を譲ることにする。
「大将、お勘定!」と告げると、おもむろにテーブルの小皿や徳利を数え、年季の入った7つ玉そろばんをはじく。

その間も客が次々と入ってくる。邪魔をしてはいけないと「では、また明日」と手短にご挨拶。何もかも承知したようににっこりと頷く山田さんの笑みを確認して、店を後にした。

再び、開店前の大甚本店へ

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翌日、私は再び大甚本店の暖簾をくぐった。
今日は昨日とは少し違う。山田さんの言葉に耳を澄ますために足を運んだ。

明治40年の創業から100年以上、暖簾を守り続けるというのは並大抵のことではない。幾多の試練を乗り越えてきたはずだ。四代目としてどんな想いでバトンを受け取り、次へ繋ごうとしているのか。そんな問いを胸に抱えながら、山田さんの言葉に耳を傾けた。

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「土曜日だと、多い時には100人ぐらい並ぶんです。だいたい200人前後、忙しい時だと230人くらいのお客様が来られることもあります。でもね、コロナ禍のときは7人なんて日もありました」

山田さんの言葉に「そうだった」と、あのときの記憶がまざまざと蘇る。2020年から3年ほど続いたコロナ禍で、酒は行き場をなくし、蔵元や飲食店はこれでもかというほどの試練を味わった。広島市内でも飲食店が営業制限にあえいだ。少しでもお力になればと、東広島からリュックサックを背負ってテイクアウトのランチを買って回り、配って歩いた。

「いや、本当に大変でしたよね」
しみじみと漏らした私の言葉に山田さんはうんうんと頷き、言葉を続けた。

「あのとき、ちょうど新しい板場さんに入ってもらったばかりだったんです。なのに、いきなりお客さんが来なくなってしまって。明日はお客さんが何人来てくれるだろうか、そればかり考えていました」

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「何かできることはないか」と考えた挙句、思いついたのがテイクアウトだったという。

「このあたりで先陣を切って始めたんです。店で280円で販売していた小鉢の惣菜をテイクアウト用のパックに詰めて。お酒を飲みに来てくださっていた方の家呑みのアテにしてもらえたらと思って始めたんですけど、蓋を開けてみるとお客さんの半分以上が新規の女性客で、昼食や夕食のおかずにするんだって買ってくださるんで、そういう使い方があるんだなって」

それならばと、女性や子どもが好きな揚げ物やご飯ものもメニューに加えた。
「実はうちって三代目の方針で揚げ物やご飯ものをつくってなかったんです。だから揚げ物やご飯ものをテイクアウトするって言ったときは三代目と喧嘩になりましたけど、もう背に腹はかえられないでしょ。だから鯛めしや唐揚げなんかの揚げ物も作って、全部250円で販売したんです」

この思い切った判断が功を奏し、大甚本店のテイクアウトはたちまち評判になった。
「一日に600〜700パックほど売れたんです。採算度外視で作っていたので、利益はほとんど出ませんでしたけどね」

その後、周囲の後押しもあってクラウドファンディングにも挑戦した。100万円集まれば御の字だと思っていたそうだが、最終的には700万円を超える支援が集まったという。

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写真)店内にはクラウドファンディング協賛者の名前が記された木札がずらりと並んでいる

「こんなに支持をいただけるとは思ってもいなくてびっくりしたんですけど、支援はもちろん、気持ちを感じるメッセージもたくさんいただいて、読みながら泣いちゃいましたね」

コロナ禍でのお店存亡の危機。テイクアウトもクラウドファンディングも、何十年もの歴史が刻まれた老舗の居酒屋にとっては大胆な一手だったかもしれない。それゆえ三代目との意見の衝突もあったが、その思い切った行動は結果的に客層を広げ、店を次代へとつなぐ突破口となった。

「新しいメニューも、クラウドファンディングのチャレンジも、三代目には『またそんなトロいことを』って言われました。でも、結果的にトロかったことなんて一個もなかった。もしどれもやってなかったら、コロナを乗り越えることはできなかったですから」

伝統を守ろうとした三代目と、未来を拓こうとした四代目。互いに向き合い、削り合う中で「店を残す」という一点に想いは研ぎ澄まされていった。当時の山田さんのご苦労を思うと、その胸中は察するに余りあるが、お話を聞きながらもしかしたら二人のぶつかり合いも、大甚本店のこれからの歴史を紡ぐ上で必然だったのかもしれない、と思ったりもした。

次の100年に向けて店をつくっていく

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コロナ禍を乗り越えた大甚本店は今、世代交代の時期を迎えている。
燗つけは五代目の悠斗さんへとバトンが渡された。
「まだ燗をつけ始めて一年くらいですが、何年もやってるみたいな顔してやってますよ」と教員をやめて戻ってきた悠斗さんの活躍に山田さんは目を細める。

「お店についてああしたい、こうしたいということが息子と大体同じなんです。ほぼ同じ方向を向いて一緒にやれるっていうのが今は心強いですね」

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写真)『おくどさん』と呼ばれるかまどの中でじっくり温めた燗酒は、温度が均一になることで何とも言えないおいしさになる
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お客様の層の変化に合わせて、料理やお酒のメニューも変化しつつある。

「アルコールも日本酒は賀茂鶴さんと菊正宗さん、あとキリンビールとサッポロビールの4種類だけだったんですが、息子や娘が『若い人はカシスオレンジとか梅酒ソーダとか、サワー系の方が好きだよ』って教えてくれて。そこからアルコールのメニューもずいぶん増やしました」

「賀茂鶴だけ」と言ってもらえた昔ももちろんありがたかったが、これだけ嗜好が多様になった今、多品種化していくのはひとつの流れだろう。何よりお店が存続できなければ、日本酒が飲める場そのものが失われてしまうのだから、「これからも日本酒の良さを押し付けることなく伝えながら、求めるお客さまにはぜひ日本酒を出し続けてください」と、蔵元としての願いをつい口にした。

すると山田さんが、すかさずこう返してくれた。
「でも若い女性のお客さんがね、うちで賀茂鶴さんの樽酒を飲んで『美味しい!』って言ってくれることが結構あるんですよ」

その一言が嬉しくて、思わず身を乗り出す。そんな私を見て「それにね」と山田さんは言葉を繋ぐ。

「子どもが二十歳になったら、絶対こいつを大甚に連れてくるんだって決めてるって方が結構いらしてね。お父さんに連れてこられた息子さんや娘さんが、最初の一杯をうちで飲んだりしてくれるんですよ」

父と子が肩を並べ、盃を交わす。微笑ましい光景が目に浮かんで、思わず笑みがこぼれる。
大甚本店という場所は、そうした人生の節目を受け止める器であり、日本酒の文化をつぎの世代へと手渡す舞台。最初の一杯に込められた想いは、単なる味覚を超えて、記憶として深く刻まれることだろう。

「若い人は本当に美味しい日本酒を飲む機会があまりないのかなと思うんです。よくない酒で悪酔いしてしまうと『日本酒はもう無理』って遠ざけられちゃうけど、最初に美味しいお酒を飲めば、日本酒の良さはちゃんと伝わる。だからこそ、最初の一杯が大事なんです。若い方にこそ、うちで燗をつけた賀茂鶴さんの樽酒を味わってほしいですね」

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最初の一杯。
それは、ただ喉を潤すためのものではなく、酒との関係を決定づける出会いの瞬間でもある。そういえば京都・先斗町「ますだ」の太田晴章さんもおんなじこと言ってたなあとしみじみしていると、山田さんの携帯電話が鳴った。開店前の貴重なお時間をこれ以上頂戴するわけにはいかない。

最後にひとつだけ尋ねてみた。
「山田さんにとって良い居酒屋って、どんな居酒屋ですか?」と。

「それはね、『ここで飲んで楽しい』って思ってもらえる店ですよ」と言い、言葉を探すように少し間をおいてからこう続けた。

「『楽しい』なんて単純すぎるかもしれないけど、やっぱりそれが一番大事なんです。だからこそ、いつもお客さんが楽しそうにしているかどうかが気になります。初めて来られた方が、お酒でも料理でも、最初のひと口を口にした瞬間に表情がパッと変わるのを見たときは、本当に嬉しくて、『よし!』って思うんです」

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写真)賀茂鶴の樽酒がプリントされている大甚オリジナルパーカーを購入した。店に来ていくとお勘定から割り引いてくれるとのこと。次に来る時はこれを着て行こう

山田さんが言う「楽しい」は「美味しい」と重なる。味覚だけの話ではない。「美味しい」には、料理や酒を介して生まれる空気や、人と人が交わす時間までが含まれている。

いまや海外でも「IZAKAYA」を名乗る店が増えているという。それはきっと多くの人々が、居酒屋の居心地の良さを肌で感じ取っているからではないかと思う。

最初の一杯が運ばれる瞬間、ひと口を口にして表情が変わる瞬間──そこに居合わせた人の心が動く。それこそが山田さんの言う「楽しい」であり、「美味しい」であり、そして目指す居酒屋のかたちなのだろう。

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2日にわたってたっぷりと大甚本店の壮大な舞台を鑑賞させてもらった。
さあ、そろそろお暇するとしよう。

皆さんにご挨拶して店を後にする。風になびく「酒」と白く染め抜かれた勝色(かちいろ)の暖簾を背に、山田さんは満面の笑顔で見送ってくれた。

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燗酒にピッタリの賀茂鶴酒造のお酒。

蔵元直詰 賀茂鶴 樽酒
穏やかな杉の香り まろやかな味わい
蔵元直詰 賀茂鶴 樽酒
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