
Story 07
株式会社サタケ【前編】


2月になって2度目の寒波が西条を包み込んだ朝。寒さに体を縮こませながら車に乗り込んだ。車を走らせることわずか数分。のどかな景色の中に突如として現れる、ガラス張りの建物。それが今回の目的地、サタケの本社ビルだ。年に数回、財団の理事会などで訪れているが、今日はいつもと表情が違って見える。
自動扉をくぐると、明るく広々としたエントランスで(株)サタケ代表取締役社長・松本和久さんが出迎えてくれた。「今日はよろしく」と固く握手を交わし、軽くジョークの応酬。松本さんは1965年生まれの同い年ということもあって、気のおけない話ができる存在のひとりだ。
バスケットボール選手だった松本さんは、背が高くて、肩幅も広い。押し出しの強い人物だ。そんな彼が、いつの日からか私のことを「ゆうちゃん」と呼ぶ。仕方がないからこちらも2人の時だけ「かずくん」と呼ぶ。相手との距離を縮めるのがとても上手い。松本さんは創業家・佐竹家以外で初めて生え抜きで社長に就任した。この日も多忙なスケジュールの合間をぬって、時間をつくってくれた。

賀茂鶴酒造とサタケのご縁は、今から100年以上遡る。賀茂鶴の創業者・木村和平翁が、サタケの創業者・佐竹利市翁に酒造用の動力精米機の開発を依頼したことに始まる。
利市翁が最初に開発した動力精米機は食用米に使うには十分な精米だったものの、和平翁はもっと精米歩合にこだわった精米機を依頼した。利市翁はそれに応え、当時としては驚異的な精米歩合60%を可能にする「研削式精米機」を開発した。
まさに革命ともいえるこの発明のおかげで、西条の酒造りは飛躍的に発展し、その後、「灘」「伏見」と並ぶ三大酒どころのひとつになったといっても過言ではない。「もしあのとき和平翁と利市翁が出会っていなければ」と考えると、この奇跡の出会いに感謝せずにはいられない。
そしていま、サタケは食品産業総合機械メーカーとして、日本を代表する地位を確立している。その土台である精米機は、世界150か国以上に輸出されているというから驚きだ。
「ある国では精米機そのものを”SATAKE”と呼ぶそうです」と松本さん。西条発の技術が海を越え、文化として広がっていることは、私たち西条の酒蔵にとっても誇らしい。

「まずは見てもらいたいものがあります」と松本さんに案内されたのが、2021年にリニューアルした次世代型精米プラント「MILSTA(ミルスタ)」。プロジェクションマッピングによるプレゼンショーが見られるのだという。松本さんが副社長の時に開発が始まり、社長就任の年に完成した。
「ここからの眺めが一番なんですよ」
そう言って2階のテラスのような渡り廊下に案内された。しばらくすると壮大な音楽と共にプロジェクションマッピングショーが始まった。想像以上の迫力と高いエンタメ性に、思わず「おぉ」と声を上げる。

楽しみながら仕組みや機能を理解できるプレゼンショーは、海外の顧客にも好評らしい。確かに机上で設計図を見せられるだけではなかなかピンとこないが、五感に訴える演出で、知識が「体験」へと変わり、体にストンと入ってくる。情報が溢れる今という時代だからこそ、「体験」を伴うことが何よりも大切な伝え方なのかもしれないと思う。
それは酒の世界も同じこと。いや嗜好品の酒ではそれ以上かもしれない。どんなに精米歩合などのスペックを語っても、どの酒蔵も美味しい酒を目指している現在、それだけで賀茂鶴の「美味しさ」は伝わらない。実際に飲み、香りを感じ、杜氏や蔵人、営業からその想いを語られ、賀茂鶴のヒストリーやストーリーを聞き、リアルに酒蔵にいらしたお客様をおもてなしする私たちの心を受け取っていただく。そのすべてが「美味しい」を形づくる。酒は嗜好品であるという原点に立てば、造り手と飲み手の心を一瞬にしてつなぐ心の動き、感動は改めて大切であると実感する。


クライアントに精米工場のリニューアルや今後の工場運営などを検討していただく空間。

愛用品のカメラや自作のポスターなどが展示されている。
ここで松本社長とはいったん別れて、プラント営業部酒造担当の新山さんに施設を案内いただくことになった。
サタケ本社には、約250種類の穀物を展示したウェルカムホールや、歴代社長の功績を伝える歴史館、最新の選別機を使った試験が行われている選別加工総合センターなどがあり、一般公開されている。毎年10月に開催する酒まつりでも「サタケ見学ツアー」を開催しているが、毎回好評で、定員を超える申し込みがある。
今回は4階にある「サタケ歴史館」と最新鋭の選別機・加工機が揃う「選別加工総合センター」を案内していただくことになった。


まずは歴史館で歴代の精米機や関係者ゆかりの品を眺めながら、新山さんの解説に耳を傾ける。それによると、創業者の利市翁は幼少の頃から神童と呼ばれ、さまざまな分野でその才能を発揮したらしい。家業が農家だったこともあり、精米作業の大変さを身をもって知っていた利市翁は、15歳の頃にはすでに「人力を使わずに精米できる機械をつくりたい」と考えていたという。
そう思わせるほど当時の精米作業は重労働だった。実際、他の地域ではすでに水車を活用した精米が広がりつつあり、そうした技術の有無が米づくりや酒づくりの現場にも大きな違いを生んでいたようだ。
「当時、酒造りといえば灘や伏見でしたが、いずれも酒造りに適した水が豊富で、水量の多い川には水車小屋が何千基も並び、精米も容易にできたそうです」
その話は私も聞いたことがある。一方、西条には大きな川もなく、精米は人力頼み。しかも水は、当時は酒造りに向いていないとされた軟水で、その頃の酒造りにはマイナス要素ばかりの状況だった。
「それでも西条の酒造りがここまで盛んになったのは、利市翁や御社の木村和平翁そして軟水醸造法を研究した三浦仙三郎翁の功績です。でもこれほどの逆境の中でなぜ彼らはそこまでできたんだろうと思ったりするんですよね」と新山さん。

「もしかしたら、そんな逆境や制約が、彼らにとっては、かえって創造力の源になったのかもしれないですね」と返すと、新山さんも深く頷き、展示されている四連唐臼搗精機をしげしげと眺めながら言葉を重ねた。
「利市翁は動力式精米機に必要だからと、灯油で動く発動機までも開発しているんです。実はこれも非常に革命的な発明でして、精米機じゃなく発動機の開発に特化していれば、もっと大きな会社になっていただろうとさえ言われることもあったほどです。でも、そんな世紀の発明ですら、彼にとっては精米機を動かすための“手段のひとつ”にすぎなかったわけで、『なかったからつくった』だけなんですよね」
「ないなら、つくる」という、精米機の開発に始まった精神は、まさに「サタケイズム」とも言うべきもの。やがてサタケの全事業を貫く哲学となっていく。酒造りも、ものづくり。かつて番組作りの職人をしていたゆえに、着想、こだわり、実際に手を動かしてみるチャレンジ、そして誇り、そうした姿勢への共感は、私の中に染みわたった。

歴史館をひと通り見学した後、選別加工センターへと移動する。ここでは、お米はもちろん、農作物、食品、そして工業製品まで、最新機器を使って選別や加工試験が行われている。賀茂鶴でもサタケの精米機を使用しているし、光選別機もある。しかしずらりと並ぶ光選別機や各種の検査機器の中で、新山さんの説明で私が一番興味深かったのは、業務用炊飯機だった。
実はサタケは、大手コンビニの弁当を製造する会社に業務用炊飯機を納めている。現在お米に関する一連の機械を川上から川下まで手がけているサタケだが、炊飯事業に本格的に着手したのは1990年代以降と、比較的最近だ。
きっかけは、弁当担当者からの直接の依頼だった。自ら旗を振って始めた事業ではないが、ここでも「ないなら、つくる」というサタケの精神が新たな成果を生むことになる。それが世界初の『加圧式IH炊飯機』の開発だ。




1990年代というと家庭用の炊飯器ではIHが主流になりつつあった頃だが、業務用炊飯機においては、まだまだガスが主流だったという。
「我々も当初はガスの炊飯機をつくったんですが、ガスでは業務用炊飯の一番の使命といえる、年中一定の品質のご飯を炊き続けることが難しかった。そこで温度制御に優れたIHに注目したんですが、当時の日本のIH技術では、業務用炊飯の標準量の7kgもの米をムラなく炊きあげるのは不可能だったんです。そこでIH先進国だったアメリカまで視察に行って、研究と試行錯誤を重ねた結果、“加圧IH”という技術にたどり着いたんです」
さらにその後、1年かけて「106℃、1.2気圧」という最適値を見出し、どんな条件下でも、ふっくらと、しかも冷めてもおいしいご飯を炊き上げることに成功した。しかもこの技術は、厨房の衛生管理、さらには現場で働く人たちの「快適さ」という嬉しい副産物までもたらしたという。

「かつての厨房は、ガスの熱と蒸気が充満し、まるで“サウナ”状態でした。でも加圧IHなら、発生した蒸気を集中排気できる。厨房の温度管理がしやすくなり、衛生的で涼しい作業環境が実現した。それは働く人にとっては大変喜ばしい変化でした」
他にも、加圧IHの技術がもたらした変化はあるのだという。
「物流において、2000年代初頭はまだ常温流通が主流でしたが、常温ではご飯が急激に劣化し、廃棄ロスが多いことが課題としてありました。でも、炊きたてを冷やしてチルド帯で流通させる“チルド流通”なら、美味しさを長く保てる。冷めてもおいしさが持続する加圧IHで炊いたご飯は、まさにチルド流通に最適だったんです」
また工程の自動化によって省人化が進み、水使用量も大幅に抑えられるようになった。結果、人手不足や衛生課題にも対応。厨房で働く人々の働き方そのものも変わり始めている。
しかしもちろんすべてが順風満帆というわけではない。途中、こんな失敗もあったという。
「ある日、弁当センターから『ご飯の底がヨーグルトみたいにドロドロになっている』というクレームが届いたんです。調べてみると、原因は土壌菌による発酵でした。炊飯器だけのメーカーなら『それは炊飯器ではなく、搬送の仕方の問題だ』ということもできたかもしれない。でも我々は稲が刈りとられて以降、お米が口に入るまで一気通貫で手がける世界唯一の会社という矜持がある。だからこそ、あらゆる工程においてリスクを予測し、先回りして解決する。その使命を、改めて突きつけられた出来事でした」
そしてこの炊飯事業への挑戦は、思いがけず“精米”という上流工程の見直しにもつながっていく。
「かつて我々は、白く輝く米こそ“良い米”だと信じていました。だからツヤツヤになるように精米するのが当たり前でした。でも炊飯事業を始めてわかったのは、あまりに表面を磨きすぎた米は浸漬しにくくなるということ。我々が目指すべきは、炊いておいしい米だと気づかされたんです」
ゴールを「食べておいしいお米」に置いたとき、工程の一つひとつが問われはじめた。上流に立ち戻り、方法を変え、再定義していく──それは大きな挑戦だったに違いない。
「炊飯までやる会社になるのは、必然だったのかもしれません」
もし精米だけの会社だったら、今のサタケは、きっと存在していなかっただろう。ものづくりにおいて、ゴールにこだわってすべての段階を見直す勇気。そしてなかったら道具まで自らつくるという、こだわりとプライド。ものづくりに携わる者にとって共通する大切な姿勢が、胸に焼きついた。

株式会社サタケ
- ■住所/〒739-0043 広島県東広島市西条西本町2-30
- ■電話/082-420-0001
- ※特別にご許可をいただいて撮影・取材をしています。
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