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Story 08 株式会社 糀屋三左衛門
株式会社ビオック

株式会社 糀屋三左衛門/株式会社ビオック

600年続く種麹屋 糀屋三左衛門へ

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 2024年12月、「伝統的酒造り」がユネスコの無形文化遺産に登録された。
文化庁などによれば、伝統的酒造りとは「日本における、こうじ菌を使った伝統的な酒造りの知識と技術」とある。石川杜氏にもその話を詳しく聞いたけれど、「こうじ菌」が日本酒の伝統をどのように支えかたちづくってきたのだろうか——考えるほど、そんな思いがふつふつと湧いていた。

同じ頃、新潟で開催された酒史学会でひとりの人物と出会い、名刺を交換した。
株式会社ビオックそして株式会社糀屋三左衛門・代表取締役社長で29代村井三左衛門を名乗る村井裕一郎さん。ふふふ、私と同じ裕一郎だ。室町時代から続く種麹屋・糀屋三左衛門(こうじや さんざえもん)の第29代当主である彼は講師として登壇し、「日本酒にテロワールという概念は当てはまらない」「江戸時代中頃から良い酒を醸す良い種麹(たねこうじ)の評判が広がって、評判の種麹はほかの地域からも求められた」という印象的な言葉を口にしていた。

講演終了後「いつか種麹をつくる現場に伺いたいです」と伝えると、村井さんは気さくに「ぜひどうぞ」と応えてくれた。そして2025年3月。私はご好意に甘えて広島から新幹線と電車を乗り継いで向かう。目指したのは、愛知県豊橋市だった。

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京都で種麹業を始めた糀屋三左衛門は、13代将軍足利義輝公から種麹業の販売許可証、通称「黒判(くろばん)」を賜ったという。以来600年、代々技術と商いを受け継いできた老舗中の老舗のひとつだ。

ではなぜ京都でなく愛知県の豊橋に老舗の本家があるのか。株式会社糀屋三左衛門のホームページによれば、京都本家三男の村井豊三氏が1965年に独立、拠点を愛知県豊橋市に定めた。豊三氏は村井裕一郎さんの祖父にあたる。その後、京都本家閉業に伴い、1970年に村井豊三氏が第27代当主となり、村井さんの父上の代に株式会社ビオックが設立。乳酸菌を含めて様々な微生物を扱う会社を目指し、今や全国の醸造企業のおよそ7割に種麹(麴菌)を供給するまでに成長した。糀屋三左衛門は伝統的・歴史的立ち位置での活動を担う。

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写真)13代将軍・足利義輝から種麹業の許可証として賜ったという黒判(くろばん)。
墨で刷り種麹を入れる袋に押印して販売していたという
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写真)自身が抱える2つの看板について「例えるならビオックは理科、糀屋三左衛門は社会」と、
理屈よりもイメージしやすい表現で教えてくれる

 「そもそも種麹とは何ぞや?」酒蔵で体験をした人や酒蔵作業の映像に詳しい人なら、麹室で杜氏が蒸米に種麹を振りかけているシーンを見たことがあるのではないだろうか。

「種麹」とは、麹を作るための麹菌の胞子を生育し商品化したもの。一般の人にとっては、あまり馴染みのないものかもしれない。だが 清酒やみりん、味噌、 醤油、焼酎、酢といった醸造業に携わる者にとっては、なくてはならない生命線のような存在だ。

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写真)蒸気が立ち込める加圧蒸煮室。米を加圧しながら蒸し煮し、麹菌の繁殖しやすい環境をつくっている

種麹づくりの作業はほとんど午前中に行われる。まず
ビオックの工場を見学させていただくことになった。

村井さんの話を聞きながら、各部屋を案内いただく。当然ではあるが、麹づくりと工程がよく似ている。ふと「酒蔵の麹づくりと、ここでの種麹づくりって、何が一番違うんでしょうか?」と尋ねた。村井さんは「目的が全然違うんですよ」とすぐに返してくれた。

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酒蔵で麹をつくる場合は、麹菌を米の芯へとぐんぐん入り込ませて、酵素をたっぷり出してもらうのが目的だが、種麹づくりは胞子をしっかりとたくさん育てて採取すること、つまり、米の外側にたくさん胞子をつけることが目的だ。

「そのためには、菌の繁殖を見極めながら、長い時間かけて育てる必要があるんです。大体1週間ぐらいですかね」と村井さん。日本酒に比べてはるかに長い時間がかかる。一見、同じように見えた工程も、丁寧に見ていけばこんなにも違うことがある。それは、私の中で大きな発見だった。

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写真)胞子の緑が均一に広がる様子を見つめる村井さん。そのまなざしは穏やかながら、
揺るぎない自信とプライドを秘めている。
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写真)麹菌の胞子が米などの原料に付着した状態の粒状種麹。
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ビオックでは日本酒用の黄麹だけでなく、焼酎に使う白麹や黒麹、さらに味噌、醤油、みりんといった発酵食品用の種麹まで手がけている。しかもその供給先は日本国内にとどまらず、世界五大陸すべてに広がっているという。

それにしても日本の麹が世界でこれほど求められていることにも驚いたが、さらに意表を突かれたのは、その国際的な広がりとは対照的に、現場が想像以上に少人数で、その息づかいまで感じられるほど手工業的だったことだ。

しかも、あの村井さん自身が、毎朝欠かさず胞子の色やつき具合を目で確かめているという。麹菌は、わずかな色合いや質感の違いにも意味が宿る繊細な生き物だ。その「微差」を見極めるために、トップが最前線に立ち続けている──その事実に、胸の奥が少し熱くなった。

“当たり前”の価値を伝える意義

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見学を終えた私たちは、事務所に戻って、改めて向き合った。
聞きたいことはたくさんあったが、まずは新潟での酒史学会での日本酒とテロワールの話の真意をもう少し聞きたいと切り出すと、村井さんは頷きこう答えた。

「日本酒にテロワールって、ちょっと違うよなっていう感覚があるという話ですよね。まず、日本の酒蔵の99%は麹菌をうちのような種麹メーカーから買っているという事実があって、それはもう江戸時代の頃からそうなんですけど、テロワールを唱える酒蔵さんはそれは言わず、米や水のこだわりだけを強調して“土地の個性”を語る──そこに少し違和感があるんですよね」

確かに酒造りにおいて米や水にストーリー性を求める動きがある一方で、営業トークで種麹のことまで語る酒蔵は少ない。村井さんの話を聞きながら自省する。

「すごく大きな話からすると、SDGsが言われるようになって、人間の関与をなるべく避けるという考え方が、世の中の価値観として強くなってきているという流れがある。自然のあるがままがいい、つまり人間の関与度が低いほうがサステナブルだとする考え方です。
だから世の中がその方向へ動いた結果として、日本酒もワインの農業的なテロワール発想を唱えようとする動きが出てきているんだと思います」

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「難しい時代になったなとは思います。付加価値として米や水などの原料にストーリー性を持たせるというのは当然の流れで、それでいうと種麹で個性を際立たせるというやり方もあるかもしれません」

社会の潮流を分析しながら、村井さんは慎重に言葉を選ぶ。

「ただ、あくまで僕にとって一番の基本は、種麹はあくまで“インフラ”だということです。安定した品質の種麹を安定的数量供給してはじめてその上に立って酒蔵さんたちの個性が発揮できるんです」

最近は、黄麹でない白麹を使って日本酒の新商品開発に取り組むこともある。しかし毎年一定の味の定番商品をうみだすためにも、あるいは新たな商品を開発して世に送り出すにも、米、水そして種麹の安定は不可欠だ。

「電化製品がコンセントを差して動かないことがないように、今はスーパーやコンビニでもまずい商品はほとんど見かけない。それをみんな当たり前だと思っているけれど、その裏で、生産者たちは年々厳しくなるFSSCやISO、HACCPなどの衛生管理基準をクリアするために、技術と努力を積み重ねています。その積み重ねが世の中の安定につながっているという事実を、これからはもっと伝えていかなければならないと思うんです」

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「当たり前」が当たり前になったのは、数えきれない人の努力があってこそ。けれどわれわれは、その努力を美徳を盾にして、あえて口にしてこなかった。でも目に見える華やかさや物語だけが価値ではない。むしろ、目に映らない安定や安心を、何十年も絶やさずに供給し続けることこそが、本当の意味での“価値”なのではないか。そしてその「当たり前」を幾年にもおよぶ歴史を通して確立してきた行為こそ、「伝統」と呼ばれる行為なんじゃないか。

ユネスコ無形文化遺産登録をきっかけにこれまで以上に海外への輸出や海外からのインバウンドも増えていく。また国内での日本人の日本酒も離れ続いている。「当たり前」を暗黙知で済ませずに、きちんと言葉にして語る行為こそが大切で、誰かの努力の上に立っている「当たり前」の世界を、「価値」として語るときがいよいよ来たのかもしれない。村井さんの話を聞きながらそんなことを思った。

地域への貢献というサスティナビリティ

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私がもう一つ、聞きたかったこと。それは村井さんが著書『ビジネスエリートが知っている教養としての発酵』の中で、「発酵業界について知ることは、日本の中小企業や伝統産業について知ることにつながる」と書いていたことだ。伝統の継承と事業の継続――そのヒントが発酵にあるなら、ぜひ聞きたいと思った。

「ご存知の通り、兵庫県の灘高校って地元の酒蔵さんがつくった高校ですよね。昔からそうやって酒蔵さんは地域の教育やコミュニティに貢献してきた。だいたい商工会議所の会頭や青年会議所の理事長も酒、味噌、醤油などの醸造家が務めているケースが多いし、地域のお祭りに広告代の名目でお金を出したりしてね。醸造家がそうやって地域文化を守ってきたのは、中長期的に見れば醸造家の経営資源が地域社会にあるからなんですよね。地域に貢献することが、結果的に企業の継続につながると知っていたからなんです」

そういう営みが地域経済の中で雇用を生み、利益を還元し、コミュニティを支えてきた。

「そう考えると、これこそサステナビリティだと思うんです。実は、SDGsにも“コミュニティ”という項目があります。でも今の日本では環境と健康のサスティナビリティの理論に偏りすぎているし、それどころか人との関わりが、なんなら少ないほうがサステナブルとさえ見えてしまうような、そんな状況にさえあるのではないか。そこで働く人とか、いいものを安定して作る技術が見落とされてしまっている。もっと“人”ということに注目が集まっていいんじゃないかなと思うんですよね」
地域の要として、暮らしのあらゆる場面に関わってきたのが酒蔵だった。私も西条でいろんな役割を担ってきたが、せわしない日々のなか、そのことを振り返る余裕がなかった。けれど、村井さんの言葉を聞き、自分たちの地域における役割とその意味をあらためて言語化してもらった思いがした。

伝統を継承するのは“人”

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発酵文化を支えてきたのは、技術や設備以上に、その場に立つ「人」だ。人とコミュニティ、人と人とのつながりがなければ、酒蔵の酒造りは続かない。

「日本の伝統的酒造りが、ユネスコで無形文化遺産になりましたけど、やっぱり文化っていうのは人がいないと生まれないんですよ。自然は人間がなくても成立するんですけど、文化は人間の営みの中にあるものなんで。だからもっと『人』ということに注目が集まっていいんじゃないかなと思うんですよね」

そして村井さんは、こう付け加えた。

「伝統を受け継ぐにあたって、いろんな大事なことはあるんですけど、何より重要なのは、その伝統を受け継ぎたいと思ってくれる人が現れることだと思います」

それだ、と体に電流が走った。どんなに価値のある伝統でも、バトンの受け手がなければ、そこで途切れてしまう。だからこそ、産業は次の世代にバトンが渡せるような環境作りに持続的に取り組まなければならなかった。

だが今、その取り組みは見えにくくなり、バトンを受けてくれるその手は少しずつかすんで見えなくなっている。だからこそ、バトンの受け手を育むことを大切にすることが人とコミュニティにとって“当たり前”であるような社会を、もう一度目指したい。

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そんな「人」に光を当てる話から、会話は思いがけない方向へ広がっていった。
村井さんが「ちょっと面白いアイデアがあるんです」と切り出した。

「マクドナルドのハンバーガーの原材料がどこから来たかストーリーが分かるアプリのように、お酒のラベルにQRコードをつけて、『米を蒸したのは山田さん、麹を育てたのは鈴木さん……』と、お酒に関わった人たち全員の名前が映画のエンドロールのように流れる仕組みです。米農家さんや杜氏さんは紹介される機会が多いですが、実際はその裏に何百人もの人が関わっている。それを可視化できたら面白いと思うんですよ」

「めちゃくちゃ面白いじゃないですか!」と、思わず声をあげた。
一本の酒の裏側には、エンドロールが必要なくらい、たくさんの「人」がいる。そこに光を当てることで、責任や想いを見える化できるし、何よりその一本に込められた人の数に圧倒されるはずだ。

「それを日本酒業界からやってほしいんです。日本酒って、日本の伝統的な食文化を代表する存在じゃないですか。だからこそ、関わっている“人”に光を当てることができたら、それがいずれ、他の発酵食品にも展開できると思うんです」

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日本酒が、人を映し出すスクリーンになる――そんな未来の姿が、はっきりと目に浮かんだ。

忙しいなか、私たちのために惜しみなく時間を割き、未来への思いを言葉にしてくれた村井さん、そしておもてなししてくださったスタッフの皆さんに心から感謝の気持ちを伝え、手配いただいたタクシーに乗り込む。

今回も出会いと発見に満ちた旅になった。未来につながる小さな種をまた一つ、見つけた気がした。

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