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Story 10 日本酒造技術研究連盟

日本酒造技術研究連盟

大事な日 左手の災難

「なぜ、今日なんですか?」
会場で会うなり、広報課長に苦笑交じりに言われた。
「そうだよなぁ」と、添え木と包帯で覆われた左手の薬指をまじまじと見た。

寒仕込みの酒造りと、蔵開きを終えた4月23日金曜日。日本酒造技術研究連盟、通称「賀茂鶴会」の60回目の研究会・総会と全国選抜清酒品評会を翌日に控え、夕方から理事会と前夜祭が予定されていた。
よりによって、そんな大事な日に、指の手術をすることになった。

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「腱が切れていますね」。
雨の中、這うようにして辿り着いた病院で、医師は90度に折れ曲がった私の指を診ながら淡々と言った。しかも手術が必要だという。真っ黒に埋まったスケジュール帳を睨み、やるなら今日しかないと「今日、お願いします」と即答した。処置室での簡単な手術だろうと思っていたら、案内されたのは本格的な手術室。夕方からの理事会に間に合うのかと一気に不安に包まれたが、手術は二十分ほどで無事に終わった。

「術後はなるべく手を心臓より高くしてください。下げると痛みますよ」「あ、お酒は飲まないでくださいね」。医師の言葉が、すでに賀茂鶴会のことで頭がいっぱいになっていた私の耳をすり抜けていった。

「賀茂鶴会」とは何か。その始まりは、昭和42年にまで遡る。
当時、賀茂鶴の杜氏(おやっさん)のもとへは、酒を利いてもらおうと各地の杜氏たちが訪ねてきた。また、賀茂鶴で腕を磨き、全国の蔵へと巣立っていった杜氏たちも大勢いた。そうした「造り手」たちが自然と集まり、互いの技術を高めあうために始まった勉強会が「賀茂鶴会」だった。

時代を経て、季節雇用から社員醸造へと酒造りの形が変わりながらも、杜氏たちの固い絆は途切れることはなかった。今では北は青森から南は熊本まで、42の酒蔵を結ぶ組織となっている。賀茂鶴は事務局として60年間、この技術継承と情報交換の場を支え続けてきた。私は杜氏ではないが、事務局側の理事長として、この連盟に参加させてもらっている。


大急ぎで西条の会場へと滑り込むと、会場の準備はすっかり整っていた。社員のみんなには事前に事情を伝えていたものの、本当に間に合うのかと、気が気ではなかったらしい。「なぜ、今日なんですか?」という広報課長の冒頭の言葉は、会場で私の到着をハラハラしながら待っていた、みんなの心の叫びでもあった。

17時からの理事会を無事に終え、前夜祭の会場へ移ると、すでに全国から集まった杜氏の皆さんが顔を揃え、賑やかに談笑していた。よく知る顔ぶれを見つけるやいなや、指の痛みも忘れその輪に加わった。

越えられない造り手たちの「結界」

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18時。いよいよ宴が始まった。全国の名だたる杜氏のみなさんを前に、乾杯の挨拶で贈った言葉は、「和而不同(わじふどう)、和して同ぜず」。互いの個性は異なる。その違いを越えて調和するには、互いの違いを尊重すること。馴れ合うことなく、同調圧力に屈することもなく、それでいて酒の造り手として同じ道を究める者同士、深く手を結ぶ―それこそが、この会の真髄だという想いからだ。

乾杯に備えて、机の上の大吟醸特製ゴールド賀茂鶴を開栓する音が会場に響く。
「乾杯!」盃を掲げると、一瞬の静寂ののち、会場の空気は一気に沸点へと達した。

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酒瓶や徳利を手に、そこかしこですぐに容赦のないプロの職人同士の日本酒談義が飛び交い始める。賀茂鶴の杜氏も、酵母や米の話を他の蔵の杜氏と熱く話し合っている。熱燗のブースには長蛇の列ができ、燗付けが追いつかない。

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せっかくの宴席、私も盃を傾け始めた。だが調子に乗りすぎたのか、次第に指がズキズキと激しく自己主張を始めた。医師の「心臓より高く」という言葉を思い出し、不格好だとわかりながら左手を上げてやり過ごしたが、途中で我慢できずに痛み止めを口に放り込んだ。

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そうして2時間ほど豪快に飲みあげた後、杜氏たちは、二次会に向けて会場を後にし、西条の夜の街へと消えていった。連盟はあくまで杜氏のネットワーク。酒を醸す造り手たちの聖域だ。ここから先は、私は立ち入れない。結界の外から、「神々」たちの背中を見送った。その頃には私の左手も悲鳴をあげていた。

造り手たちの葛藤

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明くる4月24日は会場を西条HAKUWAホテルに移し、研究会が始まった。昨日よりも左手薬指のうずきは治まり、ほっと安堵する。

研究会は、前年の品評会優勝者による講演と、外部から招いた講師による講演で構成される。まずは、昨年の優勝者である中尾醸造の中尾康孝杜氏が登壇した。

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毎年のことながら、優勝者の講演には驚かされる。蔵の設備、使用する原材料のデータ、経過簿、そしていま悩んでいる課題まで、実に明け透けだ。質問にも丁寧に答える。そして「うちの蔵を見に来てください」と蔵見学も厭わない。

もちろん、緻密なデータを知ったとしても、最終的には自ら「百試千改」を繰り返さなければ、理想の酒には到達できない。そうした酒造りの厳しさを百も承知している杜氏たちだからこそ、求めるのは、己の酒を磨き上げるための課題や智慧の共有だ。また他者の真剣勝負を聴くことで、自分の造りに改めて確信を深めることもあるだろう。

この研究会には、造り手のみが共有する聖なる領域が存在する。皆が切磋琢磨するライバルでありながら、日本酒の未来を共に背負う同志だ。それこそが賀茂鶴会の本質であり、それを感じる場面に出くわすと、いつも胸が熱くなる。

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続く演目は、2年前から取り組んでいたアンケートに基づくパネルディスカッションだ。この企画は当時、「伝統的酒造り」がユネスコ無形文化遺産に登録される見通しとなったタイミングで、酒造りの未来へ向けて私がずっと感じていた課題をテーマにしてみたいと考えたことから始まった。その課題とは「技術の伝承」「人材の育成」「伝統的酒造り」だ。
集まったアンケート結果からは、各蔵のリアルな葛藤がこれでもかと浮き彫りになっていた。

かつては当たり前だった季節雇用の杜氏・蔵人制度も、今や社員醸造を中心とした体制へと移行しつつある。労働人口や日本酒消費量が減少するなか、各蔵が模索しているのは、単なる機械導入による省力化ではない。「手造り」へのこだわりを根底に置きながら、その延長線上で機械を活かす「ハイブリッドな酒造り」の姿だった。

「人材の育成」に話が及ぶと、どの蔵も一様に「Z世代」と呼ばれる若い担い手との向き合い方に頭を悩ませていた。「見て覚えろ」だけでは通用しない。作業指示書や動画マニュアルを整備すれば、機械の操作は十分に伝わるが、デジタルネイティブの若者たちが、そこから先、自ら深く突き詰める姿勢をどう育めばいいのか。若い飲み手に人気の蔵でさえ、「若手にもっと責任感や積極性を持たせられないだろうか」と悩んでいた。

会場のディスカッションでも、ベテラン杜氏たちが「感情に任せて怒らず、一対一で具体的に諭す」「小さなことでも根気よく褒める」など、丁寧に若手と向き合う真摯な姿が伝わってきた。たしかに、マニュアルだけでは伝わらないこともある。先輩の背中を見て、自らの体と頭で経験して覚えていくことの大切さを、どう繋ぐか。

そんな議論のなか、会場の空気を深く耕してくれる発言があった。

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「『手造りか機械化か』という軸で語ること自体、とても難しいと感じています。どちらが正しいかという議論よりも、『自社が追求する酒質に近づいているかどうか』ということを基準に考えたい。人手不足や人員的な制約、設備、環境といった制約がある中で、より良い結果を得ようとする時に生まれる判断や工夫、それこそが技術だと思いますし、伝統とは、技術の前段階にある理想を追求する姿勢や自ら改善していくスキルを引き継ぐことなのかなと思います」

その後もさまざまなアンケート回答が取り上げられるなか、モデレーターの賀茂鶴・山岡製造本部長から、さらに踏み込んだ問いが投げかけられた。
2024年に「伝統的酒造り」がユネスコ無形文化遺産に登録されたが、国が定義する伝統的な作業と、実際の現場での機械化の間にあるギャップ(モヤモヤ)をどう整理すべきか」という問いだ。

これに対し、「日本の伝統的な麹菌を使った酒造り技術保存会」副会長でもある石川達也杜氏が、静かに、しかし情熱を込めて語り出した。

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「どんな分野にも典型的な修行のやり方があります。例えば宮大工なら刃物を研ぐ。我々の世界だと『蓋麹(ふたこうじ)』の仕事がそれにあたります。毎日練習するのは、単にやり方を覚えるのではなく、『体で仕事を覚えるとはどういうことか』を習得するためです。ユネスコが命名した通り、酒造りは「無形」の文化遺産なのです。紙で書いて残したり、映像で残したりするだけでは足りない。現場で人から人へ伝えていくということでしかなし得ないことがある。だから、伝統継承と人材育成っていうのは一体のものだと私は解釈しています」

効率だけを追い求めれば、いつか消えてしまう大切なものが、確かにそこにはある。伝統とは何か。酒造りの技術とは何か。何を次世代に伝え、どう育てるべきなのか。
誰も正解など持っていない。しかし、その答えを求めて泥臭く考え、悩み続けることが、おいしい酒を醸すことに匹敵する、今の「造り手」たちの尊い使命なのかもしれない。

造り手たちとの再会を期して

熱いディスカッションを経て研究会が閉会へと向かう頃、別の会場には一足早く、10位までの入賞リストが届いていた。42の酒蔵が出品した酒の中から、香りや酒質などをもとに、厳正な審査で選ばれた精鋭たちだ。

表彰式で賞状をお渡しする準備を整えるため、私は皆より先に、出品酒がずらりと並ぶ利き酒会場へと向かった。ほどなくして、研究会を終えた杜氏たちも続々と集まり、会場には一転して、張り詰めた緊張感が漂い始めた。

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会場は水を打ったような静寂に包まれている。響くのは、杜氏たちが酒を口に含み、鼻へと香りを抜く「シュッ、シュッ」という鋭く激しい音だけ。一切の妥協を許さない、ある種の気迫すら感じた。

褒章授与式では、緊張感の漂うなかでベストテンの審査結果が発表され、私は包帯を巻いた手で、一人ひとりに賞状を手渡していった。栄えある還暦の第60回大会で優勝を飾ったのは、兵庫・西山酒造場の「小鼓(こつづみ)」、八島公玲杜氏だった。

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誇らしげに賞状を受け取る姿を称えながら、そこに「賀茂鶴」の名がないことに悔しさがないかといえば嘘になる。しかし本当に悔しいのは、私よりも賀茂鶴の3人の杜氏だ。この悔しさをまた自らの「百試千改」へと繋げていって欲しい。

思いがけず私の手の負傷から始まった60回目の賀茂鶴会も、こうして無事閉会を迎えた。全国から1年に1度、西条に集まる杜氏たちは、まるで出雲に集まってくる神々のようでもある。毎年2日間、この貴重な切磋琢磨の場が、さらに10年、20年続くよう努めなければならない。

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別れの言葉を交わしながら、バスに乗り込む神々たちを社員と共に見守った。また1年後。

「今度はどんな酒を手にここへ戻ってくるのだろう」
期待を胸に、去っていくバスに大きく左手を振った。薬指がズキッと痛んだ。

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